Imprentas antiguas

印刷技術のはじまり~木版印刷と鋳造活字による活版印刷~

印刷技術のはじまり
~木版印刷は中国で誕生しました~

古代エジプトでは石面やパピルスなどに文字を刻んで情報伝達を行っていました。印刷はいつごろから始まったのでしょう。

インドから仏教が伝来していた中国には、その後、7世紀に入って千体仏をつくる方法が伝えられました。
仏像印を織布の上に押捺して、仏像を何枚も複製する印判の方法でしたが、中国ではこれを、墨を塗った仏像の方に紙を乗せて摺(す)る擦仏という方法に変化させたのです。

これが、木版印刷の始まりでした。

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8~9世紀頃(唐代)に、仏の姿が生き生きと描かれている「金剛経」(868年)がつくられているのをはじめ、数多くの仏教経典の作成にこの印刷術が盛んに活用されていきました。

唐が滅亡した直後の10世紀には、孔子の経典や菩薩像を普及させる社会的事業のために、木版印刷が大いに貢献しました。

紙や墨の品質改良、字体の整備が後押ししてくれたのですが、木版をつくる彫師、印刷する摺師の技術向上と機能には目を見張るものがありました。 出版の観点からは高度な編集、厳密な校正、丁寧な装丁という要素が加わり、木版印刷による刊行物がたくさんつくられたのです。

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元代、明代、清代と時代を経るにつれて、さすがに木、陶、銅などの種類でつくった活字が加わっていき、それ以前の13世紀末には早くも初の木活字本がつくられたほどでした。

しかし、それでも中国では18世紀にヨーロッパ式の金属活字印刷が紹介されるまで、一貫して木版印刷が主流で、アルファベットと違って文字数が極端に多く、絵柄も同時に複製したいという事情があって、長い間、木版印刷が中心だったのです。

鋳造活字の発明
~印刷の父、ドイツのヨハネス・グーテンベルグ~

ドイツのヨハネスグーテンベルグが鉛を主成分とした金属合金鋳造活字技術を発明し、鋳造活字による活版印刷が盛んになりました。

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1455年に、はじめての大規模活版印刷本となる聖書を出版しました。

この聖書は「グーテンベルク聖書」、あるいは本文ページの行数から「四十二行聖書」とも呼ばれ、500年以上を経た今もなお世界で最も美しい印刷物のひとつとされています。

また、活版印刷によって大量に作ることが可能になった聖書は、マルチン・ルターらの宗教革命に大きな影響を与えたと言われています。

さらには、当時のヨーロッパに一大メディア革命をもたらし、「羅針盤」「火薬」とともにルネサンス三大発明の1つとなっています。

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なぜグーテンベルクの印刷術が成功したのか?

グーテンベルクの印刷術が成功した理由、それは

  • 鉛合金を用いて何度も使える丈夫な金属活字を発明したこと
  • その金属活字によくなじむ銅版画用の油性インクを用いたこと
  • ブドウ液を搾るワイン製造用圧縮器を印刷機開発に応用したこと

など、多分野の技術の統合を果たしたことが大きいと思われます。

従来より早く、正確に、鮮明に仕上がる印刷の機能を発明し、これが機械による印刷時代の幕開けとされています。

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世界最古の金属活字は朝鮮で作られた?

【朝鮮半島にも木製や陶製の活字が当然のように中国から伝わったが、13世紀の初期に独自の技術による銅活字がいち早く開発。

朝鮮は世界に先駆けて、金属活字の実用化に成功した国となった。

ヨーロッパにおける金属活字の登場より50年も早い、世界初の画期的な出来事だった】

という報道がなされた時期もありました。

しかし、2017年4月に韓国文化財庁は、こうした説の根拠とされた「高麗金属活字101点の宝物指定案件」について『国の宝物に指定する価値がない』との判定を下したそうです。

詳しくは以下の記事をご参照ください。

■韓国で世界最古とされた金属活字に「宝物の価値なし」と最終判定
http://www.recordchina.co.jp/b175265-s0-c30.html

 

しかし、朝鮮における印刷技術の水準は非常に高いものがあり、こうした印刷技術が李朝時代の文化の発展に大きく貢献したことは間違いありません。

そして、豊臣秀吉が朝鮮半島を攻めた壬辰の乱(1592年)で、朝鮮の金属活字が日本に持ち込まれたのを機に、日本の活版印刷が大きく前進することになったのです。

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